2011年9月12日月曜日

治験に関わる2つの話題:副作用の定義とファースト・イン・ヒューマンの試験

FDAが治験中の副作用の定義を変えた。

今までは「治験薬との因果関係が否定できないもの」が副作用の定義だったが、これからは「因果関係が肯定されるもの」が副作用ということになる。

ちょっとした定義の違いのように見えるが、この差は大きい。

多分、治験中の副作用が10分の1ぐらいになるのではないだろうか。

何故、このように定義を変えたのかというと、今までの「因果関係が否定できないもの」を副作用としていると、本当の、真の副作用以外もたくさん収集され、本当の、真の副作用を評価しようとすると「ノイズ」が多すぎて、適切に評価できない、という理由からだ。

当たり前と言えば当たり前のことなのだが。


ここで考えて頂きたいことは、治験の世界にはまだまだ「これでいいの?」というものがたくさん有り、それがある日、急に「真逆」の解釈になる、ということだ。

たとえば、僕が監査をやっていた、今から10年位前、それまで医療機関への治験の依頼日は「治験依頼書」を提出した日だと業界の全員が解釈していたが、ある日、規制当局から「治験の依頼日は契約日です」というお達しが出た。

「へ?あら?」って感じだった。

僕たちのいる治験の世界は「固まった世界」ではなく、「暫定的な世界」なのだ、ということを覚えておこう。

「絶対」ということは無いのだ。

有害事象に対するコメントでも、「治験薬との因果関係が否定できる」時に、医師から必ず書いてもらわないといけない、というものでもない。

逆に「因果関係が肯定される」場合にだけ、コメントを書いてもらう、という考えだってありうるわけだ。


だから、フットワーク軽く、柔軟な姿勢で治験に望もう。




ところで、最近、「ファースト・イン・ヒューマンの治験」(世界初のフェーズ1)を行う大学が出てきた。

これは厚生労働省のバックアップで始まったものだ。


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2011年6月17日、厚生労働省は早期・探索的臨床試験拠点整備事業の実施要綱を公表し、ファーストインヒューマンの早期・探索的臨床試験を、企業治験や医師主導治験として実施する医療機関の公募を開始する。

世界に先駆けて臨床試験を実施し、日本発の革新的な医薬品・医療機器を創出することを目指した臨床試験拠点の整備事業で、ライフイノベーションプロジェクトの目玉施策の1つ。

採択されると、整備費として年間5億円程度を5年間、研究費として年1億5000万円程度(医師主導治験として行う場合)を3年から5年継続で補助される。

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たとえば、こちら(慶應義塾大学医学部クリニカルリサーチセンター」

http://www.ccr.med.keio.ac.jp/media/2011.html


あるいは、こちら。

http://www.jmacct.med.or.jp/report/files/news_20110923.pdf


とてもいいことだ。

これまで日本では大学等のアカデミアで行われている基礎研究を臨床の現場に橋渡しするシステムが弱かった。

最近になってようやくトランスレーショナル リサーチを担う企業やベンチャー企業が出てきた。

大学の医学部の中で独自に新薬の開発を行うシステムがようやく出てきた。

アカデミアの方々にもどんどん意識が変わって欲しい。

基礎研究は基礎研究としても、臨床に応用できる研究に大きくシフトして欲しい。

これで新薬が世の中に出る確率が大きくなると同時に「治験」に対する意識も変わってくることだろう。

大学と企業との共同研究ももっと増えて欲しい。


僕の友人にも神経系の難病を長く患っている人もいるし、知り合いの中にも根治療法が無い病気の人がいる。

「アンメットメディカルニーズ」を充足する、そんな新薬が1日も早く出てきて欲しい。

製薬業界もそんな姿勢で立ち向かっている。

時には格好悪くうつるけれど、「必死に」なってやっている人は「鮮やか」だ

治験の活性化5ヵ年計画も終わり、これから「ポスト5ヵ年計画」(「臨床研究・治験活性化に関する検討会」)が始まろうとしている。

http://www.cabrain.net/news/article/newsId/35354.html


これまで実施された「新たな治験活性化5カ年計画」の成果はどうだろう?

http://www.jmacct.med.or.jp/plan/plan.html#consideration


反応はひとそれぞれだろうけれどね。

ただ言えることは、いつの時代でも歴史を動かしている人は「必死に」やっている、ということだ。

傍観者や評論家は「どんなことも無視」「なんでも批判する」だけだ。

そして、時代を作っていく人の中には、華やかな舞台で派手に立ちまわる人たちだけではなく、ひたむきに現場で戦っている人たちもいる(あなた、だ)。


必死にやっていると、周囲から「なんであそこまで」と思われることもある。

「なにもあそこまでしなくても」と「格好悪く」映ることもあるだろう。

でも、そういう人たちは「鮮やか」に生きていると思う。

くすんでいない。

よどんでいない。

スカッと生きている。

納得して生きている。



あなたが書類を1枚1枚、確認していて「つまらない」と思っている作業も、それは新薬への道に繋がっている。

だから、必死にやろう。

その新薬を患者は待っている。(しかも、時間がない)

鮮やかに生き抜いていこう。

傍観者としてではなく。

評論家でもなく。

当事者としてね。

「継続こそ力」は間違っている。「継続だけが力」だ。

この「医薬品ができるまで」や「ホーライ製薬」のネタをいつ書いているかというと、金曜日の夜から土曜日にかけてだ。

たとえば、今週のネタを月曜日から金曜日の間にネタを考えようとしても、仕事もあるので、なかなか集中して考えることができない。

そこで、「苦悶」の週末が待っている、となるわけだ。

今週のネタを何にするか、全く、アイデアが浮かばないことがあり、そんな時は「今週は休刊だな」と甘い悪魔の囁きが聞こえてくるのだが、1回でも、休んでしまうと、もう、ずっと休んでしまいそうなので、「何が何でも」ネタを書く。

場合によっては、何のネタも無い時もあるけれど、そんな時には、とりあえず、PCのキーボードをたたきながら、思いつくことを書く。

これが、大事なのだ。



「とりあえず書き始める」

とにかく、「動く」ことが大事だ。

世の中には「考えているばかりで」行動に移さない人も多い。

それでは何も変わらない。

とにかく「動く」ことだ。

動けば、何かが変わる、と信じている。




そしで、駄文も名文でも、戯言でも、「継続することだけ」が力になるのだ、と信じている。

英語も文章の練習も、とにかく書き始めて、ブログを継続することに必死になる。

「継続こそ力」なんて甘いことを言っていてはいけない。

「継続だけが力」なのだ、と毎週末、自分を叱咤激励している。

(この時点で、まだ、ホーライ製薬のネタが決まっていない。)

一度、継続を止めてしまうと、もう、二度と、このブログを書かないかもしれない、という不安もある。(大いにありうることだ。)




「治験の活性化」も「継続だけが力」だと思う。

うまくいく手法もあるし、成果が出なかったアイデアもある。

問題は、その後だ。

うまくいかない場合であっても、それを継続し続けることで、成果が出てくることも世の常だ。

ちょっとやって、ダメだったら、諦める人が多い。諦めが良すぎるのだ。

こんなブログでさえ、継続したからこそ、読者がいる。

治験の活性化も、ちょっとやったら駄目だった、と諦めるのではなく、「活性化するまで」諦めないのだ。


ちょっと問題にぶつかったら、やる気が失せる人は、その程度の熱意だったということなのだ。


僕のように、こんなネットの片隅で、ひたすら、治験の活性化について、言いたいことを言い続ける、これが大切なのだ、と自分は信じている。

自分を信じることは大切だ。

自分を信じないでは、何事も達成できない。




とにかく、継続しよう。

治験の活性化5か年計画も、ポスト5か年計画も、継続していって欲しい。

動かないことには、何も変わらない。

それは役員と委員会の人だけではなく、現場のあなたの力が最も影響を与えるのだ。

あなたの継続こそが、治験を活性化させる。


繰り返します。

継続だけが力です。

2011年9月11日日曜日

治験が促進しないのは、あなたのせいだ!!

このブログをご覧になっている方々は、大なり小なり、組織に所属している人たちだろう。

今週のホーライ製薬とも関連するけれど、組織の力を活かしきる、というのはとてつもなく大変だ。

製薬企業のR&Dという組織、CROの臨床開発部という組織、治験実施医療機関の治験事務局、SMOの医療機関支援部、総合機構の新薬審査第一部、厚生労働省の医薬食品局・・・・・・etc.

様々な組織が治験に絡んでいる。

それぞれの組織がその力を存分に発揮していたら、かなり治験の促進に繋がるだろうけれど、なかなかそうはいっていない。




縦割り組織、官僚組織、権力争い、縄張り意識、様々な問題が組織にはある。

チームスポーツをやったことがある人なら経験していると思うけれど、「一体感」があるかどうかで、組織の力は実力以上のものになる。

では、その「一体感」はどうやったら、醸し出せるのだろう?

それは何と言っても「組織の存在意義」をメンバー全員が意識することだ。

たとえば、僕が今働いている会社では社員全員が「理念手帳」というものを持っていて、その最初のページに「使命」とあり「私たちは創薬と医療技術の向上を支援し、人類を苦痛から解放することを絶対的な使命とします」と書いてある。

これが、僕の働いている組織の「存在意義」となる。

だから、組織の中で問題が発生したら、「この場合、何が人類を苦痛から解放することに繋がるのか?」という視点で議論する。




組織で働くということはただ「給料を貰う」ためだけではなく、ひとりではできないことを組織を通じて成し遂げることに意義がある。

あなたが「人類を苦痛から解放したい」と思ったとしても、なかなかひとりではできない。

でも、それが5人の治験事務局ならどうだろう?

企業から依頼がくる治験申請の手続き関係を5人で手際よく回す。

それが、新薬の上梓に影響を与え、ひいては「人類を苦痛から解放する」ことになる。

たとえば、あなたが100人のR&Dの所属していたら、ある人は基礎研究からあがってくる化合物の将来性を分析し、ある人はフェーズ1を行い安全性を確認し、ある人は薬事部で、規制当局とのやりとりを行っている。

こうして、100人が組織の存在意義を意識して働けば、人類を苦痛から解放することになる。


だから、細かい「縄張り意識」を捨て、「官僚組織」の動脈硬化を起こしたような組織を活性化し、組織のメンバー全員を巻き込んで、新薬の開発に取り組もう。

患者さんと家族は泣いている。

アメリカでは普通に使われている薬が、日本では使えないということを。

自分の愛する息子が治療薬の無い難病になったことを。




患者さんと家族を泣かせているのは誰か?

それは、「あなた」だ。(僕も当然、そうだ。)


「あなた」が組織を活かしきれていないからだ。

チームという組織、部門という組織、事業部という組織、会社(病院)という組織、官僚という組織、日本という組織。

日本で治験が進まないのは、「あなた」のせいだ。


それを忘れずに、組織の中で働いていこう。